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   <title>3427	真崎	のごく個人的な意見</title>
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   <title>李氏朝鮮の歴史</title>
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   <published>2008-04-02T01:40:15Z</published>
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      <![CDATA[多くの混乱があったようですね。
今一度勉強しなおして見たいとおもいます。


李氏朝鮮の歴史は、国内政治的には、建国から端宗までの王道政治の時代（1393年 - 1455年）、世祖の王権纂奪から戚臣・勲臣が高官をしめる時代（1455年 - 1567年）、士林派による朋党政治（1567年 - 1804年）、安東金氏・閔氏などの外戚による勢道政治（1804年 - 1910年）の区分に分けられる。

一方、対外関係を主体にみると、約500年に及ぶが明の朝貢国であった時代（1393年 - 1637年）と、清の朝貢国であった時代（1637年 - 1894年）、清と欧米の列強および日本が朝鮮に対する影響力をめぐって対立した末期（19世紀後半 - 1910年）という3つの時代区分に大きく分けられる。

第1の区分の末期には、倭乱（日本の侵攻）と胡乱（後金（のちの清）による侵攻）と言う大きな戦争が朝鮮半島内で発生しており、この影響で国土が焦土化し、社会形体が大きく様変わりしている。第2の区分の時代には、清の支配を反映して、中国が夷狄の国である清に支配されている以上、自国が中華文明の正統な継承者であると言う考え（小中華思想）や、逆に現実には武力と国力で清に太刀打ちすることは難しいことから臣下の国として礼を尽くすべきとする思想（事大主義）や、中国から離れている日本を野蛮であると蔑視する思想などが保守的な儒学者を中心として広く根付き、朝鮮朱子学の発達が進んだ。その後は儒教内部で改革的な実学思想が生じ、又洋学などが発生した。これらは支配層からたびたび強い攻撃を受けたが、開港後の改革運動の母体ともなった。

19世紀末期になると、欧米列強や日本、清などの介入が起こる。結局1894年の日清戦争で日本と清が戦って日本が勝ち、清との冊封関係も消滅したことで日本の強い影響下におかれ、朝鮮は第3の区分に入った。

しかしこの時代は、国内的にはロシアと日本の対立に巻き込まれ、それに派閥の対立も絡んで深刻な政治状況に陥っていった。親日路線をとる派は、親ロシア派や攘夷派などの妨害を受けた。近代化論者の中にも親日派や親露派、攘夷派が混在しており、それが混乱に拍車をかけた。日露戦争の勝利の後は日本の影響力の向上に伴い宮廷内では親日派の力が大きく伸張した。日本と韓国内部の李完用などは日本が韓国を保護国化・併合する方針を採り、一進会は「韓日合邦」を主張した。日露戦争後の第二次日韓協約で日本は韓国を保護国化し、実質的な支配権を確立した。1910年に日本と韓国は日韓併合条約を結び、韓国は消滅した。

李氏朝鮮時代の特徴は500年の長きにわたって続いた儒教道徳に基づく統治である。これは一面では身分制度を強固なものとし、誤った差別意識を助長したり、現実に沿わない外交、内政を支配者に行わせる原因となった。その一方で儒教は高麗末期の腐敗仏教を打破し、また王朝後期には革新思想が生まれてきたように知識人が政治や社会の変革を考える要因ともなった。儒教の影響力がかなりの程度減じた現在の韓国、北朝鮮でも、このような儒教の二面性は形を変えつつ存続しているとされている。文化的には高麗青磁を受け継いだ李朝白磁があり、前代の華麗さに対して優美さを基調としたものと評価されている。儒教道徳を曲解した支配者からの差別も非常に根強かったが、白磁は李朝を通じて優れた職人達の手を通じ堅実な発展をみせ、日本の陶磁器にも大きな影響を与えた。

引用『ウィキペディア（Wikipedia）』
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   <title>チュノムの文化</title>
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   <published>2007-11-23T17:58:00Z</published>
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   <summary>チュノムとは…意外と知しませんでしたが、 このようなことが起こっていたようです。...</summary>
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      <![CDATA[チュノムとは…意外と知しませんでしたが、
このようなことが起こっていたようです。

チュノム（Ch? Nôm, 字喃）はベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字。字喃の「字」は、本来「????」(宁＋字、U+21A38)と書く。13世紀?19世紀に使われたが、それ以前にあったチワン語用の古壮字がチュノムの考案に関係している可能性が高い。

 
ba（「三」）声調が6つあるベトナム語を表記するために、意味や音の似た漢字を偏や旁として組み合わせて形成される。例えば、数字の「3」は「ba」と発音されるので、音の近い「巴」を偏としてそれに意味を表す「三」を旁として組み合わせる。「畑」など、日本の国字と同じ字形のものもあるが、日本の国字は、字喃の影響を受けていないと考えられている。

支配層、知識階層が漢字漢文を使用していたのに対して、チュノムは民衆のものとされるが、実際の使用には漢字の知識が必要であったため、どちらかというと自文化意識の強い知識人たちのものであったと思われる。

歴史上では、陳朝を簒奪した胡季犛執政期間と、西山（タイソン）朝の阮恵（グェン・フエ）の時期に漢字・チュノム混じり表記のベトナム語が中央の公文書に制式言語として採用されている。地方においても、相当数の公文書が漢字・チュノム混じり表記のベトナム語で書かれていたと考えられ、阮朝の属国であったチャンパ（順城鎮：1694 - 1832）の王家文書（パリ・アジア協会所蔵）においてもチャム文字表記のチャム語文書と共に多数の漢字・チュノム混じり表記のベトナム語文書が存在する。

現在ベトナム語は、「クォック・グー（Qu?c ng?、国語）」と呼ばれるローマ字表記法によってのみ、表記されている。これは、17世紀にカトリックの宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが考案し、フランスの植民地化以降普及したものである。植民地期にはクォック・グーはフランスによる「文明化」の象徴として「フランス人からの贈り物」と呼ばれたが、独立運動を推進した民族主義者はすべてクォック・グーによる自己形成を遂げたため、クォック・グーが独立後のベトナム語の正式な表記法となり、不便性と非効率性を理由に漢字やチュノムは排除されるに至った。

引用『ウィキペディア（Wikipedia）』
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